プロレスラー関根“シュレック”秀樹 “魂の叫び” 「最後のパワーを振り絞って君は立ち向かったか?」【篁五郎】
あなたが出会うことがなかった人生がここにある。
■「後悔したくない!」と43歳で人生最大の決断をする
関根は43歳でプロのファイターに転向することを決意する。周りからは「もったいないから止めろ」と言われたそうだ。当時の関根は警察官として実績を重ねており、平均年収約450万円を遥かに上回る給与をもらっていた。公務員でいれば生活は安定したままだし、退職金も多く得られる。将来の年金を心配する必要もない。周りの人が警察官に留まるべきだと言ったのもわかるだろう。
それでも安定した地位を捨てるのだから並大抵の覚悟ではない。しかし気になるのは家族の反応だ。関根の妻は反対しなかったのか? 彼に尋ねてみた。
「反対しましたけど、自分の好きなことをやった方がいいよと言ってくれました。俺が言いだしたらどんなに反対されてもやる性格というのをわかってるからだと思うんです。妻は美容師で自宅の一階を美容室にしているんですけど、自分も夢を叶えてもらったからあんたも夢叶えればいいよって言ってくれました」
妻からの後押しを受けた関根は19年間勤めた静岡県警を辞職。格闘家として活動をスタートした。このとき43歳。プロレスラーや格闘家として引退を考えてもおかしくない年齢での挑戦であった。
退職後の関根は、アジア最大の格闘技団体「ONE Championship」と契約。この団体はシンガポールを拠点に、日本、中国、タイ、ミャンマーなどアジア全土で定期的に興行を開催している。その団体では負けが続き、結果を残せなかった。その後、日本に拠点を移した関根は復帰戦をTKOで勝利。足がかりを掴んだときに思わぬところから参戦のオファーがきた。「RIZIN」である。
RIZINは、2000年代の総合格闘技ブームの中心的存在であった「PRIDE」代表の榊原信行氏が立ち上げた団体だ。自らを「高田延彦信者」と呼ぶ関根にとって夢の舞台だったのは言うまでもない。何せ「PRIDE」は高田延彦がヒクソン・グレイシーと戦うために作られた場であったからだ。
「元々の夢じゃないですか。断る理由ありませんよね。それにPRIDEはUWFだと思うんですよ。だってRIZINは未だに煽りだったりとか、物語を重視してると思うんです。多分4分の1ぐらいはプロレスのエッセンスが入ってると思うんですよ。当時僕らは佐藤大輔(PRIDEの煽り動画を作っていたクリエイター)さんの煽り映像があって熱狂してというのはあったし、他の総合格闘技とは考えが違いますよね」